世界と日本の美白の歴史
美白の歴史を紐解いてみると、ヨーロッパのルネッサンス時代にまで遡ります。
美の追求が行われたこの時代、美女の条件として挙げられたのが、透明感のある白肌だったのです。
特に、上流階級の女性は高価な化粧品が使えたとあって、白粉で肌を白く見せていたようです。
しかし当時の白粉は、鉛白と呼ばれる有毒な物質で作られていた為、塗れば塗るほど肌にダメージを与えてしまったようです。 その結果、シワを隠す為にさらに厚塗りをするという悪循環に陥っていたようです。
また、白肌が日焼けをしていない、つまり労働を行わなくても良いという上流階級のステータスでもあったそうです。 こうした白肌ブームは、貴族社会が崩壊するまで続いたと言われています。
では、日本での美白の歴史はどのようになっているのでしょうか。 日本では、平安時代からキメの細やかな白肌が好まれていたとされています。
灯りの少ない当時、夜でも自分自身を綺麗に見せるには、真っ白の肌が必要だったというわけです。 そこで使われていたのは、ヨーロッパの上流階級の女性と同様の白粉です。 日本の場合、上流階級の女性は水銀で作られた白粉を使っていたようです。
特に、三重県の伊勢水銀を使った伊勢白粉は、公家御用達と呼ばれるほど重宝されていたそうです。 そして庶民はというと、お米や栗のデンプンを原料としたものや、鉛を原料としたものを使っていたようです。 お米や栗のデンプンならば問題はありませんが、水銀や鉛は人体にとって有毒な物質です。
その為、中毒症状を起こして亡くなる女性もいたようです。 その後、日本で美白ブームが訪れたのは、江戸時代です。
襟足まで白く塗る江戸時代のスタイルは、現在も舞妓さんなどに引き継がれています。 このように、美白の歴史は大変古く、日本人は古くから白肌を好むと言っても過言ではないでしょう。